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沖縄伝統工芸「紅型」


2020/01/24

:*:.。.:* ~紅型にまつわるお話~ *:.。.:*:

今回は、沖縄県内に限らず認知度が高まり、密かなブームが起こっており、着物に限らずウェディングドレスやお財布、バッグなどにも取り入れられている紅型について紹介していきたいと思います。

目次

紅型の起源

紅型の由来

紅型の用途

製作工程

沖縄の織りのこと

多くの種類の素材

貢納布こうのうふ

御絵図みえず

代表的な沖縄の織物

芭蕉布

那覇の絣織物

首里の絣織物

ミンサー

最後に

紅型の起源


紅型の起源は約15世紀ごろからと考えられ中国、朝鮮、日本、ジャワ・スマトラ・パレンバン(インドネシア)、シャム(タイ)などの東南アジアとの交易の中で様々な技法を取り入れ、発展させていったと考えられています。

書物で紅型を指したのではないかとみられるものとして『李朝実録』では”紀白”(1456年)、”彩絵”(1479年)と記され、天順※17年(1463年)に朝鮮に派遣された琉球の使節が「琉球の男は斑爛之衣(彩りの美しい模様の衣)を着る」と述べており、『使琉球録』(1534年)には”彩服・彩段”とあります。

紅型(または紅型を制作すること)を表す「型附」の文字が初めて登場するのは尚氏家譜しょうしかふ』の(崇禎※212年=1639年)、『琉球国志略』(1756年)には「白絹に文様を染める者がいる。また5色を用いて生地を染める者もいて、皆自ら着用している。そして贈物や商売にはおおむね染色しない地色のままの生地を用いる」とあります。

※1天順てんじゅんは中国、明代の元号。英宗が第8代皇帝として重祚(重祚とは、一度退位した天子が再び即位すること。「じゅうそ・ちょうそ」とも読む)

※2崇禎すうていは中国、明代の最後の皇帝である第17代皇帝毅宗の治世中で使用された元号。

紅型の由来


沖縄学研究の創始者である伊波普猷いはふゆう(1876-1947)は『琉球更紗の発生=古琉球紅型解題』(1928年)で染料の原産地であるベンガルから弁柄ビンガラー※3 に似ているとされ、東恩納寛惇ひがしおんなかんじゅん『歴代宝案』の”上水花布(更紗)”がインドのベンガルから渡来したことから紅型の語源はベンガルに由来するとされています。

また『古琉球紅型』、『沖縄文化の遺宝』の著者で型絵染作家の鎌倉芳太郎かまくらよしたろうが沖縄で紅型調査を行った大正末年のころ、首里の紺屋(染屋)では「ビンガタ」と呼んでいたので「色彩のことを称して紅、文様を指して型という」が語源であると考えられ現在でも色彩を称し紅、文様を型とする意味で紅型ビンガタという名称が使われています。

弁柄(ビンガラー)顔料

※3弁柄ビンガラーの写真

紅型の用途


王族の礼装や日常着、中国皇帝の冊封使節を歓待する際に少年達が着た「御冠船踊うかんしんおどり」などの踊衣裳、特別な場合のみ許された庶民の晴れ着、神衣裳の他、資源の少ない琉球では外貨獲得のため中国への貴重な貢品として作られていました。(『使琉球記』嘉慶7年(1802年)に”東洋花布”の名で記されています)

製作工程


紅型の図案作成から完成までの一通りの工程を紹介します。

  • 図案
  • モチーフを描きだし、紅型として染められるよう図案化します。

  • 型彫り
  • シーグと呼ばれるカッターナイフのようなものを使いルクジュウ(島豆腐を乾燥させて固めたもの)の上で型紙を彫っていきます

  • 型置き(糊置き)
  • 型紙を使って糊を置いていく作業で糊の材料はもち粉、糖、塩を使います。

  • 豆引き
  • 型置きが終わった生地に、大豆の汁から出来た豆汁とうじゅう液を引き、生地にたんぱく質が付着して顔料の定着をよくします。

  • 色挿し
  • 色挿しには鉱物性の顔料をペースト状に練って、それを豆汁で溶いて色づくりをします。豆汁は大豆を使うので日が経つと腐ってしまいます。なので色を作ったら、その日のうちでなるべく使い切るのですが、もって2日ほどです。

  • 隈取り
  • 色挿しが終わった箇所にぼかしを入れていく作業ですがこれをすることで、立体感が出て色が引き締まります。

  • 蒸し
  • 顔料が剥がれてしまわないように蒸気を当てます。

  • 水元みずもと
  • 糊のついた生地を水に浸して糊をふやかし、慎重に糊を落とします。生地と生地がこすれて色がうつらないように気を付けます。

  • 糊ふせ(びんうしー)
  • 染めたくない部分に糊を乗せる作業です。

  • 地染め
  • 糊ふせした糊が乾いたらハケで全体に色(染料)を引く作業です。

  • 2回目の蒸し
  • 地染め完了後2回目の蒸しで地染めで引いた染料を定着させるために蒸し器にかけます。

  • 2回目の水元
  • 蒸しが終わり乾燥させたら2回目の水元です!柄部分を伏せている糊を落として完成となります!

  • 縫製
  • 縫製も人の手で真心こめて行います

  • 完成!!
  • すべて手作業で作られるので、世界にひとつとして同じものはありません!

沖縄の織りのこと

多くの種類の素材

沖縄には他県では類を見ないほど多様な織物が存在しており、素材には、苧麻カラムシ、芭蕉、絹、木綿、桐板など多くの種類を使用し、用途に応じた織物を織っていました。岡村吉右衛門おかむらきちえもん『南国沖縄 光と枝』によると、苧麻カラムシ、は日本経由で栽培され、芭蕉はインドネシア語のバナナを指すピサング(沖縄方言でヒイシャグ)に似ることから、南方経由で持ち込まれたとされており、絹は日本、つむぎ用の長繭ながまゆは南中国系を起源と考えられ、木綿もめん儀間真常ぎましんじょうが1611年に薩摩から種を持ち込んだという記録があります。

染料には藍、紅花ハチマチバナ紅露クール鬱金ウコン車輪梅テカチ、グールー(サルトリイバラ)、楊梅ヤマモモ福木フクギ、ユウナ(オオハマボウ)、梔子クチナシ、日本・海外との交易による蘇木スボク臙脂エンジなど主に植物染料を用いていた。

貢納布こうのうふ

1609年の薩摩侵攻後は王府と薩摩の二重の支配の中で貢納布こうのうふ制度が発展していきました。琉球王国は薩摩への貢納品として上布、下布が宮古、八重山へ課せられました。1637年には宮古・八重山に人頭税が課せられ15~50歳の女性は税として布を納めた。村々に機織屋が設置され真っ暗な小屋の中、織女に指名された女性達は役人の厳しい監視の下、1903年まで過酷な労働を課せられました。(笹森儀助の『南島探検』に織屋の記述がみられる。)この貢納布こうのうふ制度により織られた上布は薩摩に渡った上布は薩摩上布の名で流通しました。

御絵図みえず

宮古、八重と久米島の女性たちはきびしい生活の下、皆機織りをして家計を支えていました。貢納布こうのうふに加え王府の絵師が描く「御絵図みえず」といわれるかすりを中心とした織手本が各産地に渡され、原図通りに糸をつくり、染め、機に向かい布を織ることを強いられました。貢納布こうのうふ御絵図みえずによって島々の女性たちはおおいに苦しめられた、反面各地に特徴あるすばらしい織物文化が育ち、その結果として現代に伝えられています。

代表的な沖縄の織物

芭蕉布ばしょうふ

芭蕉布の生地

糸芭蕉を原料とした織物で、芭蕉布と思われるものでは、<『歴代宝案』に16世紀後半には貢物・貿易品として芭蕉「細嫩蕉布サイドンクンプ」の記述がみられる。『李朝実録』には久米島に漂着した朝鮮人(1456年)、与那国に漂着した朝鮮人(1477年)が芭蕉を苧と表現していたようである。万暦26年(1598年)尚寧王が朝鮮に「土物夏布、芭蕉二〇匹」を贈ったと記されています。

16世紀には中国への貢物や貿易品として使用され、1609年の薩摩の侵攻以後、薩摩は琉球に対し貢納品として芭蕉布3000反を義務づけた。また、芭蕉布を”上夏布”として南方諸国へ輸出することによってかすりや花織の技法を持ち帰ることができたと思われています。

染色は植物染料で、藍、赤茶色の車輪梅テカチ、琉球王国では公の場で着る朝服(官服)、婚礼衣裳、喪服、神衣裳などにも芭蕉が利用されていた。身分によって使用する繊維の太さが違い、王族は幹の中心部に近い上質で細く柔らかな繊維で織られた芭蕉布を着用していた。

糸芭蕉は沖縄の気候に適していたためよく育ち、沖縄各地で栽培され、織物用の糸として利用されました。戦前は喜如嘉きじょか(山原)、今帰仁、首里(煮綛芭蕉ニーガシーバサー)、竹富島、小浜島、与那国島などの芭蕉に特徴がある。芭蕉は着ごこちがよく王族から庶民まで幅広く着用されていた。

那覇の絣織物かすりおりもの

15世紀前半タイ・マラッカ両国王からかすりを送られたことが『歴代宝案』に記されていることから南方伝来とする考えと、図柄の展開が中国のものに似ているということから中国説があり、起源ははっきりしていません。

かすりの図柄はトゥイグヮーブシ番匠バンジョウ、トーニー(田舟・養豚のカイバ桶)、ウシヌヤーマ(牛馬耕の鋤の手)など生活に関わる身近なものを題材に構成されていた。かすりは染色しない部分をあらかじめ別の糸でくくって防染し、染色する。その後、くくった部分をほどく。この糸を使って織ると絣模様を織り出すことができます。くくる方法以外に絵にそって種糸を掛け、墨で印をつけ、その部分を手括てくびりする技法の絵図絣という技法もある。かすりには経絣たてがすり緯絣よこがすり経緯絣たてよこがすりがあり幾何学的な柄を組み合わせて織られることに沖縄のかすりの特徴がある。

琉球絣りゅうきゅうがすりとは本来沖縄各地(戦前の那覇の産地はとまり小禄おろく崇元寺そうげんじなど)で織られる絣の総称だが、戦後、南風原はえばるで絣織物を復興させ主要な産地となったことから、南風原はえばるで織られたかすり琉球絣りゅうきゅうがすりというようになる。現在は主に絹を素材に織られています。

首里の織物

王都首里に生まれた織物で紋織などを使った美しい織物。花織に関連する資料として、『球陽』6巻、尚質王12(1659年)首里の国吉が進貢使とともに中国に渡り浮織ウキオリを学んだことが記されています。

変化に富んだ多様な織が特徴で、花倉織、花織ハナウイ道屯織ロートンオリ手縞ティジマ綾の中アヤヌナーカー諸取切ムルドゥッチリ花織手巾ハナウイティサージ煮綛芭蕉ニーガシーバサーなどがあり、首里で身分の高い人々に着用される織物であった。

王府内では織の技術の高い地方の平民の女性を選び「布織女(フショクジョ)」として御用布の製作にあたらせた。また、士族階級の女性が家族のために織ったともいわれ、王妃や王女なども糸を紡ぎ機に向かっていたそうです。

絽の生地

2本の経糸たていとを交差させて織る技法。交差させた部分の緯糸よこいとに隙間があき、紋様となります。

花織ハナウイ

花織(ハナウイ)の生地

緯糸(よこいと)が表に浮き経糸(たていと)が裏に浮く両面浮花織のことで、両面使用できるのが特徴です。

道頓織ロートン織

ロートン織(道頓織)の生地

中国から伝わった紋織布もんおりふの両面とも経糸が浮く両段織で、主に上流階級の男性の着物として織られました。

手縞ティジマ

絹や綿を使用した織物で、2色の撚糸よりいとを施した複雑な格子の中にかすりを構成した織物。

諸取切ムルドゥッチリ

諸取切(ムルドゥッチリ)

すべてムルドゥッチリの意味。ほとんどの経糸、緯糸が絣糸で構成されている。「御絵図みえず」に多数見られる経糸の色絣など特徴的な織物。崩れ格子クジリゴーシとも言われています。

煮綛芭蕉ニーガシーバサー

芭蕉の柔らかい芯部分を使って灰汁(アク)で漂白し、様々な色に染色したもので官服、絽織などにされた。(糸の染色には首里にある紺屋を利用していた。)糸は撚り継ぎで作られていました。

宮古上布

苧麻カラムシ(方言でブー)を原料とした織物で、宮古上布の起源は稲石という女性が、進貢船を難破から救った夫の昇進に感謝し、尚永王に「綾錆上布」といわれる布を織り、献上したことにはじまる。苧麻カラムシなどの繊維から糸をつくることをむといいます。

染料には藍を使用した紺地の上布が特徴である。絣模様を1本1本指先で揃える緻密な柄が織られた。明治期に奄美より締機を用いた絣技法が導入され、細かな十字絣の「蚊絣」による宮古上布が織られるようになりました。

八重山上布

起源は定かではありませんが、薩摩の貢納布のため織られたことが始まりと考えられています。宮古上布同様厳しい人頭税の元、八重山の女性たちも過酷な労働を課せられました。貢納布として宮古島は藍地・八重山は白地を織るよう指定されました。

原料は苧麻カラムシかすりは手括りのものと、染料に紅露クールを使い刷毛ハケで直接糸にり込む捺染なっせん摺込絣すりこみがすりがある。仕上げに海水に晒す海晒しによって白地はより白く、絣の色はより濃く仕上げられます。

ミンサー

ミンサーとは中国語で綿狭ミンサーで、綿狭帯の細帯を指す。

沖縄では古来から衣服の着用に帯は用いず、腰紐に着物を押し込むウシンチーという着用法が一般的であるが、厳しい労働に従事する庶民は着物が解けないよう藁帯わらおびで、綿狭帯の細帯を指す。などの帯をきつく締めていた。田舎は自由恋愛による婚姻制度であったため、女性が想いを寄せる男性に帯を贈り、毛遊びモーアシビ(若い男女が月夜の下、農作業後に野原に集い三味線に興じ唄い踊る出会いの場)で男性が女性から贈られた帯を締め、互いの愛情を確認しあう証として織られていた。男性は結び目を後ろにし、女性は前で結んでいました。

竹富島の竹富ミンサーや小浜島の小浜ミンサーはかすりが5つ玉と4つ玉が1対で、配偶者となる男性に「いつの世までも末永く…..」という願いを込めて贈られました。帯の両端の縞はムカデ文様で「足繁く通うあししげくかよう」という意味であるが、いつ頃からこのような柄が織られていたかは不明です。

柱に糸を結びつけ織った花柄が特徴的な読谷山ミンサー、藍染の無地のミンサー、那覇ミンサー、綾中に鳥くずし絣文様の与那国ミンサーなど沖縄各地で細帯が織られていた。奄美大島では、女児の織り遊びとして、細帯が織られていたという記録があります。

最後に


以上、紅型の起源から製作工程紅型の種類までの紹介でした。私も好きな紅型特集なので気合が入り長くなってしまいましたがいかがだったでしょうか?

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